栃木県友好訪問団−中国浙江省杭州にて

−初めての中国での出来事−

鴨志田 徹



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1日目

・出発
 集合場所は県庁であった。集合時間が過ぎても一人来ない者があった。電話をかけても出ないらしい。いきなりいったいどうしたというのだろう?一番近い所にいるはずなのに。皆、呆れている。
 そんな中で、我々の中国への旅は始まった。
・上海空港から杭州までのバス
 噂に聞いていた通り交通事情とマナーは悪い。クラクションは鳴りっぱなし状態。慣れた者でなければ間違いなく事故を起こしてしまうだろう。なかなかスリリングな一時であった。
 ちなみに道中目撃した事故は3件(正面衝突、料金所支柱激突等)、故障車は数知れずであった。
・中国で初めての食事
 杭州市内のとあるレストランにて、「ある人」はま○いを連発。今後の食事に対する大きな不安材科となった。
・ホテル(新僑飯店)
 造りはまあまあだが電飾のセンスは疑間。思ったよりもずっときれいで装備も充実。タオルもいりません。とりあえず一安心。


2日目

・朝食
 昨日の食事に比べればずっと食べ易く少し安心。特に肉鰻はなかなかの美味であった。
・六和塔
 皆かなり無理をして登ったが霧のため景色など何も見えず、疲れただけであった。
・茶屋
 工リザベス女王もお見えになったという店で初のお茶を飲んだ。龍井茶といい、なんと湯のみ茶碗に直接お茶の葉をいれ、湯を注いで飲むためお茶の葉が口にはいる。慣れていないため違和感があり、味も香りもよくわからなかったが、何でも中国で最高のお茶と言われたため、つい買ってしまった。日本円で2000円を支払った。良く考えてみると高いお茶であった。
 ちなみに、中国4000年の歴史を誇るお茶というものは無く、長いもので1300年程度しか歴史は無いそうである。
・昼食
 町中のレストランであちらの「偉い方」を交えての会食。このときから食事は2席に分かれると、一方は飲みまくって騒ぐ「下品席」となり、もう一方は会話を楽しみながら食事をする「上品席」となることがわかった。注意深く観察すると、どうも「ある人」がその席にいるかいないかで決まるようだ。
 しかし、このときの「下品席」からすぐ後に大きな失態を演じる者がでようとは誰も予想できなかった。
・西冷印社での小さな事件
 ここ西冷印社は由緒正しい書道家の殿堂であり数多くの著名な書道家がここを訪れたという。
 このようなところでは普通決してそそうの無いよう最大限気を使うものであろう。しかしそれは余りにも突然であった。よりによって一同が席につき、このような説明を聞いている最中にである。まさに最大級のそそうであった。しかし、まるで大したことではないかのように穏便に汚物の処理は行われた。日中関係を悪化させることのないよう気遣うかのように。
・演奏会場下見
 1月に栃響が演奏することになる会場に足を運んだ。通常映画館として使われており、演劇にも適しているようだ。しかし残念なことに残響が少ないためクラシックの演奏会には適していないようである。
 ちなみに我々の控え室〈男性)は地下深くにあるディスコホールのような部屋である。何故このような所にこのような部屋があるのか、私にはどうしても理解できなかった。
・テレビショー
 夜のスケジュールはテレビショーの観賞であった。会場の近くはもの凄い人混みであった。何でも大スターが来るということで入場券を持っていない者も一目見たいが為に集まって来ているそうである。私たちの持っている入場券はここでなら1万円位で売れたそうである。
 ショーが終わって出てきた「ある人」がこうつぷやいた。「売った方が良かった。」
・ホテルでのトラブル
 ホテルに帰ってみると部屋の前で岩本さんたちがホテルの人と何やらもめていた。聞けぱ誰かがO嬢の部屋の鍵を持っていってしまったという。このとき、「やっぱり中国は危ないな」とか「ホテル側の対応が悪い」とか皆思ったようだ。しかし犯人は我々の仲間であった。単に部屋の番号を勘違いしていただけであった。
 不思議なことにこの手の間違いはこの後、人を変え何度か繰り返された。皆さんも気をつけましょう。


3日目

・野外交歓会
野外演奏会  この野外交歓会は浙江省と友好関係にある世界各国の都市の代表が集まってゲームやアトラクションを行う催しで、我々の中国におけるホルンデビューの場となった。
 午前中にきっちり?練習してあったので演奏についての不安は無かったが、間題はやはり「ある人」の行動であった。液晶ビューカムを手に女性を撮るために会場内をうろつきはじめたのだ。そして見せびらかすことによって得意になるのであった。
 いろいろなアトラクションやゲームが行われ、いよいよ我々の出番となった。曲目はウェーバーの「魔弾の射手」から「狩人の合唱」、ホルン四重奏の曲集から「狩からの帰還」そして外山雄三の「ラプソディー」から「八木節」をホルン合奏と打楽器用にアレンジしたものであった。屋外なので音が散ってしまい迫力としては今一つではあったが、何とかそれなりに存在をアピールできたようだ。
・レセプション
 いよいよレセプションである。野外交歓会で味をしめた「ある人」の行動はここで最大限の効果を発揮することになった。とてもきれいな中国人女性のコンパニオンレディたちが興味を示してくれたのである。彼女らの中には日本語を習っている学生もいて、かたことではあるが日本語も通じる。英語も若干できるようで会話は変な英語と日本語、中国語が入り交じるものとなった。
 ついに「ある人」はお目当ての彼女の名前と住所そして電話番号まで聞き出すことに成功した。そして自分の名前、住所、電話番号も教え、日本に来たら世話すると約束までして。すると近くにいた他の娘からも次から次へとサインを求められた。まるでスターがファンにサインしているような状況となった。後で聞いたところによると中国人は日本に来るためには口実と保証人が必要なのだそうで、後々面倒なことに巻き込まれることもあるそうである。
 しかし彼女らに限ってそのようなことは決してないとと信じて疑わないお人好しの「ある人」は何故かこのときから謎の中国系日本人「シャオリン」と呼ばれるようになった。
・観劇会
観劇会  我々の中国における二回目の出番はこの観劇会における演奏であった。このときの演奏曲目は荘厳な「フェストファンファーレ」、ドイツの酒場でよく演奏されるという舞曲「レントラー」、「外山ラプソディー」、そしておそらく世界初演となるホルン合奏と打楽器による「日光和楽踊り」(歌付き)であった。
 会場の響きが良いため演奏効果が上がりなかなかの名演に聞こえたようである。(実はあまり良い出来ではなかった。)特に最後の和楽ではO嬢とシャオリン率いる「踊り隊」が会場にいた人たちを巻き込み、そして会場にいた最も偉い人である省長まで踊りに駆り出し、全て予定通り成功をおさめた。
 というわけで我々の役目は無事果たされ、後はもう上海で買い物をして帰るだけとなった。なかなかいい気分であった。
・町中のラーメン屋にて
 解放的な気分となったその晩、杭州の最後の晩ということで現地に詳しい恵川さんが美味しいラーメン屋を知っているということで町中に繰り出した。町中には数多くの店があったが、正直いってどんな食べ物が出されるか予想できないため、足を踏みいれることはなかなか勇気のいることであった。
 案内された店はまさに地元の人たちも来るような町中の普通のラーメン屋であった。入ってすぐとりあえずビールを注文し、ラーメンを選ぶ。最もデラックスなもので4元(80円)、スタンダードなものだと2元(40円)位とさすがに安い。麺が日本のものと異なりさっぱりとしたうどんに近い感じで味はまあまあであった。


4日目

・上海まで鉄道の旅
 「中国の鉄道はでかい」というのが第一印象であった。我々は2階立ての車両の下の階に乗り込み出発した。それはそれは快適であった。しかしどこか物足りない感じがしたのは、あの行きのバスのようなスリリングな興奮が無かったせいであろう。
・昼食
 ここは豫園の近くの飲茶の店(南翔饅頭店)で地元の人に大変人気のある店であった。お菓子のような蒸し餃子、しゅうまいなどを食べた。これは大変美味しいものであった。
・上海市内観光
 この日は朝から雨で豫園の中も傘をさして歩かなければならなかった。この後有名な寺院に行く予定になっていたが、市内を見たいという要望が多かったため予定を変更し、バスで上海の港やベイブリッジのような橋を見て回った。しかしこの予定変更が後にちょっとしたトラブルの原因となるのであった。
・バス内での気まずい雰囲気
 バスは我々が買い物をすることになっていた友宜商店からますます離れていった。どうもルーさん(今回の旅行でずっと我々と同行して案内してくれた方)が勝手に行き先を決めているようであった。これに気づいたJTBの大伴氏が当初の予定通りの店に行くことを要請すると、ルーさんは軽くこれを拒否、この態度にちょっとムッとなったJTB側は強い姿勢でこちらの予定が変更できないことを主張。ルーさんも嫌みたっぷりに「オオトモサンウンテンシテクレマスカ?」と応酬。
 結局JTB側の主張は通ったが、このため車内はしばし気まずい雰囲気と、大渋滞に巻き込まれてしまったために高濃度の排気ガスが充満してしまい、本当に息もできないという状態になってしまった。
・買い物
 長い長い時間が過ぎ、我々はようやく友宜商店に到着した。この近くに楽器屋があるということで何人かはそこに向かった。そして皆が揃って買ってきたのは何故かチャルメラであった。お土産は杭州キーホルダや上海ステッカー、中国サブレなどの定番ものは見あたらず、中国っぽい置物、シルク開係、本場のお茶、お酒などから選ばなければならなかったため思わず苦労してしまった。
・ホテル(上海国際機場賓館〉
 上海のホテルは杭州に比べるとずいぶんとあか抜けた印象であった。中国最後の(また来るが)晩ということでホテル内のバーで打ち上げをすることになった。しかし、この楽しい雰囲気のなかどうも「下品席」でシャオリンがまた何か変なことをしていたようである。知りたい方は「栃木県友好訪間団記録ビデオ(裏版)」をご覧ください。


最後に
 ここに書き記した以外にもいろいろなことがあって、本当に楽しかったです。しかし、当初予想していたよりもずっとハードなスケジュールで結構疲れました。そのため自由時間が少なかったので中国を意識する機会が少なかったように思います。
 今回は人数も少なくて行動しやすかったのですが、それでも空港などでは結構手間取ったりしていました。1月には130人も一緒に行動するということでどうなるか楽しみ?です。くれぐれも「これだから○○は××なんだから」などと言われないよう注意しましょう?

−*栃響ニュース号外('93.12.2発行)に掲載された文章です。−

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