<ハンガリー演奏旅行>

1999.8.11(wed)〜18(wed)


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ハンガリー演奏旅行記

Vla. 粂川 吉見


 8月11日〜18日にわたり、栃響メンバーを中心とした弦楽器11名、栃木ホルンクラブのメンパーを中心としたホルン奏者11名、計22名に小林氏の教え子にあたるフルート奏者、レディオ・ベリーの鎌田さんを加え、一行24名でハンガリーヘの演奏旅行を敢行しました。

 プタペストでの2回のコンサートをメインにした旅で特に大きなトラブルもなく、コンサートもお客さんにとても喜んでもらえたようで、無事帰って来て、翌日から栃響の練習に出ております。(やや辛かった……)

 今回の旅のきっかけとなったのは、数年前、ハンガリー国立交響楽団が小林研一郎氏の指揮で、宇都宮でコンサートをした際、レセプションでホルン・クラブの面々が持ち前のあつかましさで(失礼…)大いに交流を深め、あちらの首席ホルン奏者のマジャーリ氏に「今度はブタペストで会いましょう!」と言わせたことに端を発しています。
 「言うは康(やすし)、行なうは貞男」という有名なギョーカイ言葉がありますが、今回、上野貞男氏が急に参加不可能になったこともあり、「言うは康、行なうも康」状態になった小林氏の労苦は、ご苦労様でした。

 8月11日、成田を発ち、まずウィーンに。
 ここで2日間過ごし、それぞれ思い思いにいろんなことをしたようです。
 ホルン・グループは、練習も兼ねて、「自主的野外演奏」も試みていました。幸い逮捕者は出なかったようで……。
 ウィーンの音楽界もシーズン・オフでその代わりというか、市庁舎前広場の大きなスクリーンでの野外フィルム・コンサート(毎晩オペラやバレエをいろいろ)や、観光客対象のワルツやオペレッタの歌中心のアンサンブルのコンサートなどをやっていました。
ウィーンで演奏(1) ウィーンで演奏(2) ウィーンの街角で公開練習中


 13日にチャーター・バスでハンガリーヘ。国境の検問も思ったよりあっさりしたものでした。
 ドナウ河のゆったりした眺めを楽しみつつ、古都ヴィシェグラードヘ。(これは「高い城」の意。スメタナの「我が祖国」の1曲め「ヴィシェフラド」と同じです)

 この時、ブタペストでは、F1レースの大会をやっていて、宿がとれず、まわりに何もない、ブタペストまで1時間のこの古都の山頂のホテルに3泊した次第。確かに便利な所ではないが、眺望は素晴らしいものでした。
 ここは、「ドナウ・ベント」と呼ばれる地域で、ドナウ河がほぽ直角に流れを変える所。かつては王官もおかれ、栄えた所。さっそくその跡を探索。

 タ食時には、旅行会社「ガラ・ツァー」の3人も加わり、ジプシー音楽のアンサンブル(ここはクラリネット、ヴィオラ、ベース、ツィンバロン、アコーディオン)もあって大いに盛り上がりました。

 翌14日は、ほとんどのメンバーがブタペストヘ出て、この落ち着いた街をそれぞれの好みで歩き回りました。
 「東西文化の接点」を感じ、また過去の苦難の歴史に思いをはせました。

 この夜の夕食時のジプシー楽団は、特にヴァイオリンが素晴らしく、感動した内海さんが、流暢な英語で賛辞を呈していました。
ヴィシェグラードのホテルにて ヴィシェグラードのホテルにて飛び入り演奏


 翌15日は「やっと」正式なコンサートの1日目。
 ブタペスト郊外のブダオルスという所のSt.Johannes von Nepomukという教会。
 ここで前述のホルンのマジャーリ氏、その他にお会いして、色々お世話していただきました。
 お客さんはいるのかナァと心配していましたが、ちょうどミサをやっていて、その方たちがたくさん残って聴いて下さいました。

 ここでは、ミサとの関係で音あわせがとれず、「残響が多いだろう。」という想像のもとにぶっつけ本番。
 最初のホルンのファンファーレが響いたとたん、その想像以上の響きの良さに感動しました。
 決して「ひきやすい」会場ではないのですが、アンサンブルのための神経を最大限働かせつつ、かつ、その響きを楽しんで、なかなかいいコンサートでした。

 私としては、教会ということで選んだシベリウスの「アンダンテ・フェスティーボ」のおわりのGdurの和音を切った瞬間の余韻が忘れられません。
 涙ぐんて聴いていた方もいらっしゃいました。
ブダオルスの教会での演奏 ブダオルスの教会にて演奏


 そして16日は、全体のメインというべき、ブタペストは、Obudai Tarsaskorでのコンサート。
 ここは、フランツ・リスト室内オケの本拠地ということ。現代的な機能的でスマートなホールでなく、木造の素朴なホール。何か人をホッとさせる雰囲気。

 ここで演奏するにあたっては、指揮者の井崎先生にお世話をかけた次第。(ちょうどこの時期、氏もハンガリーの西部のオケで「第九」のリハーサルをやっておられたのですが、タイミングが合わず、残念ながらハンガリーでの「再会」は、なりませんでした)
 ここも、お客さんもかなり集まっていただき、楽しく演奏できました。

 特に、2曲やったバルトーク、弦、ホルンそれぞれでやった日本の曲あたりは、反応も一段と良く、お客さんが我々の演奏を心から楽しんでくれている様子がわかりました。

 全体にハンガリーの人たちから受ける印象は、民族的・歴史的なからみもあってか、大変、親日的なものでした。
オーブダイのホールにて オーブダイのホールにて演奏


 とりあえずホッとして、翌日、タ方までをブタペストで過ごし、帰国の途へ。
 細かなエピソードは数々あれど、この辺で……。

(追)
※あちらは、空気がカラッとしていて、楽器がよく鳴ってくれました。帰ったら、すぐに弦が2本切れました。

※2回日のコンサートの控え室で、マジャーリ氏がホルンを吹いてくれました。うまかった… かるがると…。
マジャリ氏とブダペスト観光 マジャリ氏とブダペスト市街観光


ハンガリー演奏旅行顛末記

Hr. 小林 康


 『言うば康、行うは貞夫』これは、96年のドイツ演奏旅行の際、橋本也寸史氏によって提唱された歴史的名言である。
 言われた当人としてみれば、それがまったく当たっているゆえ弁解の余地もなく、非常に複雑な思いがあった。
 しかし、そのときから私の頭の中にはこれを挽回すべく新たな計画が出来上がっていた。
 ハンガリーヘの演奏旅行である。

 四年前、小林研一郎氏から突然電話があって「あさって、ハンガリー国立響が演奏旅行で宇都宮に移動するけれど、栃響のみなさんで接待してもらえませんか」ということで、郊外のレストランを借し切りで、ハンガリー響の団員たちとパーティを行った。
 私たちホルンセクションは何の恥じらいもなく、超一流のプロを前にしてアンサンプルをおこなうことになった。
 はじめはアルプホルンだけにしておくはずであった。
 ハンガリー人はアルプホルンなんて吹くばずないから、多少間違ってもわかりやしないだろう。単純な理由である。
 これが大受けで、いつの間にか、本当は持ってきていないはずのホルンを車のトランクから持ち出し、ハンガリー響のメンバーも加わって演奏することになってしまった。
 首席奏者はイムレ・マジャリ氏。
 たぷん社交辞令であろうと思われる「ハンガリーでまた会いましょう」の一言を残して別れた。
 その時のマジャリ氏にしてみれば、まさか本当にハンガリーにやって来るとは夢にも思わなかったに違いない。しかも楽器持参で!  これが今回の演奏旅行の直接のきっかけである。

 さて、演奏旅行に行くとはいっても公式なルートで招待されたわけでない。
 前回のドイツの時はローテンブルグ市とフュッセン市から招待状をもらった。
 と言っても、招かれてもいないレセプションに押し掛け勝手に演奏を行い、無理矢理もらったものではあったが、もらってしまえばこっちのものである。
 これがあるかないかで、大違いなのてある。たとえば、援助金をもらうときなど。
 そこで招待状を出してくれる受け入れ先と演奏会会場探しから始まった。
 昨年の2月のことである。

 ハンガリー大使館に問い合わせたところ、ハンガリー、日本友好協会を紹介された。
 「私たちの所属する栃木県交響楽団は小林研一郎と井崎正浩氏を指揮者として、過去3回もサントリーホールで演奏会を……」  といった紹介文を送ったところ、すぐに協会長からFAXが入り、いとも簡単に招待状を手にすることができた。
 ハンガリーに於いて小林研一郎と井崎正浩氏がどのようなステータスな人物か改めて説明するまでもないと思う。
 ヨーロッパのほうではプロとアマチュアの概念的な差がないらしく、おそらく日本からすごい団体が来るのだろうと思っていたに違いない。思わず笑ってしまう!  さらに協会の方から、旅行代理店としてガラ・ツアーの紹介を受けた。
 後から分かったことだが、この代理店は、社長がジージャ・ガラさんをはじめに女性3人で運営する、日本人の団体のみを扱う旅行代理店である。
 つい先頃は、慶応のワグネルオケのコンサートツアーも請け負ったと聞く。
 この日以来、インターネットのメールでのやりとりが毎日のように続いた。
 日程については、まずお盆の時期にあわせるということがひとつの条件。
 日本ではこの時期の航空券が年間を通して一番高いのであるが、信じられないことに、ヨーロッパでは一番安くなる。
 今年の2月に外為法が変わって(規制がゆるくなって)海外で購入した往復航空券が使えるようになった。
 実にラッキーなことである。

 しかし、ひとつ間題が持ち上がった。
 8月15日はF−1フォーミュラーのハンガリーグランプリの開催日になっている。
 この日はヨーロッパ中から観客が集まるのでブダペストのホテルがすべて満室になっていた。
 やむなく、できるだけブダペストに近いところという条件でヴィシェグラードのホテルを滞在の拠点とすることにした。
 しかし、今にして思うにやたらと遠かったように思える。
 ガラツアーの担当者(メールの相手)はシャルロッテさん。
 名前の感じからして、若くお美しい方と想像していた。
 しかし、ヴィシェグラードのホテルで初めてお会いしたが、60をちょっと過ぎたご婦人であった。
 大笑いである! 名前から年齢をあてられないよー!  冗談はともかく、このシャルロッテさんのおかげで航空券から、ホテル、チャーターバス、タ食まで超格安で手配することができた。
 とある日本の旅行代理店で同じような見積もりを聞いてみたが、約半額であることがわかった。

 もう一つ手配しなければならないものがある。演奏会会場である。
 ガラツアーは音楽のプロモーターではないということを聞いていたので、初めからホール探しはマジャリさんにお願いしようと思って進めていた。
 この方はハンガリー国立交響楽団の主席ホルン奏者(私は栃響の酒席ホルン奏者、蛇足!)でリスト音楽院の教授でもある。
 ソリストとしての活動も盛んで、ハンガリー出身の有名な若手ホルン奏者はほとんど彼の弟子だそうである。
 いわゆる、ハンガリーで最も高名なホルン奏者をつかまえて、私たちのためにホールを探してくれである。はなはだ失礼なことをお願いしてしまったなー! と思ったのは帰国してからであった。
 そんなわけで、超多忙なマジャリさんに連絡をつけることは容易ではなく、ガラツアーがいろいろな手配を着々と進めていく一方、演奏会の日程が決まっていながらもホールの手配が取り残される形になっていった。
 まさか見捨てられてしまったのか! という不安も募り、ちようど、栃響の定演の指揮に来られていた井崎先生にもダブルブッキングを承知の上、ホール探しの相談にものっていただくことになった。
 井崎先生はフランツ・リスト室内管弦楽団を指揮されている。
 この話は早かった。
 マネージャーのヴェロニカさんを通して、当楽団の本拠地のオーブダイ・テラシャスカーと言うホールを押さえてもらうことができた。
 あーよかったねー! と言って安心していたところに、マジャリさんから、やっとホールを押さえられましたというメールが入りこんできた。
 演奏旅行に行っていてそのまま夏休みに入ってしまった(3週間も!)ということだった。
 連絡がつくはずないよねー!  井崎先生とヴェロニカさんにも事情を話し、一日目の演奏会をマジャリさんの用意した教会で、二日めをオーブダイで行うことに決定。
 7月の上旬のことである。

 トラブルというものはひとたび発生すると延々とつづくものである。
 一度、仕事の都合でキャンセルした上野氏が、また行けそうだということになって、航空券を再手配。
 しかし、その数日後にまたキャンセル!! たのむよ!上野さん!  二度も航空券をキャンセルできないし、演奏する曲のメンツのこともあって、誰か一人ホルンのメンバーを探すことになった。
 そこで最後の空席を埋めてくれたのが、螺良さんである。
 ガラツアーは一席だからキャンセル待ちで、確保できるでしようと言う返事であった。
 しかし返事はいつになっても帰ってこない!出発の一ケ月前を切ってしまった。
 パスポートも取ったし、練習はしているし「実花ちゃん、ごめんごめん!やっぱり行けなくなちゃったよ!」なんて言えるはずがない。
 ホルンの何人かと話し合って、航空券もまたホール同様、ダブルブッキングでいくことにした。
 JTBに勤務する2ndVnの福田さんは宇女高の教え子。
 厳しい条件の中、無理を言って、やっとのことで押さえてもらうことができた。
 ありがとう!!それが、出発の三日前!!あっぷねー!!  しかしこの航空券、我々の団体とは別便。
 そー言えば実花ちゃん海外旅行は初めてだったよなー、トランジットだいじょうぶかなー!なんて考えている余裕すらなかった。
 いやー!大変だったねー!螺良さん!それ以来、誰ともなく、彼女のことをトランジットの実花と呼ぶようになった。

 さて、極め付けはこれである。
 出発の前日、井崎さんのマネージャーのヴェロニカさんからFAXが入った。
 二日目の演奏会の会場費が振り込まれていない!!!!と言う内容である。
 もう、一月前に振り込んであるはずなのに!  足銀の外為課に状況をつかむようにお願いしたが、とうとう不明のまま出発する事になってしまった。
 結局、会場使用料は振り込まれていなかった。
 演奏会の当日、急遽、持ち合わせている皆様から日本円で徴収し、支払うことになった。
 誠に申し訳ないことをしてしまった。
 でも、無事演奏会ができてよかったー!  その後、送金したお金はどうなっていたかというと、アメリカの銀行とハンガリー銀行を行ったり来たりしていたようである。
 原因は、ヴェロニカさんが教えてくれた銀行名が俗名で正式なものではなかったらしい。
 口座番号、銀行名の一字でも違うと絶対に入金されません!くれぐれもご注意を。
 送金できなかったお金が戻ってきたのは10月半ばのことである。

 ま、こんなわけで今回の企画運営について私一人ですべて行ってしまったわけであるがトラブルとは言わないまでも、いろいろなことがあった。
 しかし現地でのすばらしい思い出、ウィーンでビール片手に震えながら見た『こうもり』、シュターツオパー前での演奏、一面に広がったひまわり畑、エステルゴムの巨大聖堂、初めて知ったマジャリさんの人柄、…など、それまでの苦労をうち消してくれるのにありあまるも のがある。
 今回の旅行は弦とホルンという変則的な演奏旅行であったが、大過なく日程を終え帰国できた。
 これも参加された皆さんの協力のたまものと思う。
 ここで改めて感謝申し上げたい。

 さて、一回目がドイツ、二回目がハンガリーと思うと、つい私の悪い癖が出てしまう!三回目はどこでしよう!
 私が口にすると、不思議なことに必ず実現してしまうから恐ろしい!だから、まだ言いません!
 皆さん、次回は一緒に行きましょう。
 お盆の時期に20万ちょっとでヨーロッパに演奏旅行に行けるなんて安いと思いませんか?

−*栃響ニュース第20号('99.11.18発行)に掲載された文章です。−

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